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書評:相場師一代(是川銀蔵)

是川銀蔵さんという事業家・投資家をご存じでしょうか?
私は、尊敬する個人投資家である角山智さんのブログで初めて知りました。
ウォーレン・バフェットを筆頭に海外投資家に目を向けがちですが、日本にも素晴らしい投資家がたくさんいたようです。
 
<ポイント>
1、カメ三則
          a, 銘柄は水面下にある優良なものを選んでじっと待つこと。
          b, 経済、相場の動きからは常に目を離さず自分で勉強する。
          c, 過大な思惑はせず、手持ち資金の中で行動する。
2、忍耐強く学び続ける。投資家として大きく成功したのは60代を過ぎてから。
3、数少ない大きなチャンスに思いっきり賭ける。
4、経営と投資の両方を経験している。
 
<格言>
やると決めたらどんな困難があってもやり通し、やっていけないことはどんな誘惑があってもやらない、このぐらいの強い意志がなければ、自分のカネを賭けて相場を張ることはできないと思ったほうがいい。
 
<感想>
是川さんは14歳から事業の世界へ。計4回も財産を失う経験をしながら、80代まで現役バリバリの投資家として生きました。個人的に印象的だったことは、1927年に(30歳)で大恐慌のあおりで経営していた鉄鋼会社が倒産した際の対応です。資本主義は続くのか、それともマルクスの言う共産革命が起きるのかに答えを出すべく、3年間図書館に通い詰める。そして、自分なりに資本主義は続くという結論を得て、事業や投資の世界に復帰したことです。人の言う事を鵜呑みにせず、自分の頭で考え抜く。奥さんに子供4人を抱えた状況で、信じられない胆力です。私もリーマンショック以降に成長を前提とした社会の仕組みに疑問を感じて、農業や大工の世界に寄り道しました。市場が信じられなくなって逃げだした自分に対して、納得するまで対象を観察しようという是川さんの姿勢に感銘を受けました。自分も時間をかけて市場の世界に戻ってきましたが、是川さんのスタンスを見習いたいと思っています。
 
<略歴>
1897 兵庫県に7人兄弟の末っ子として誕生
1911 14歳。貿易商に奉公。
1914 17歳。奉公先が倒産。独立を決意。シベリア鉄道経由でロンドンを目指して大連へ渡るが、第一次世界大戦が始まり足止め。青島で貿易商小山洋行を設立。
1915 18歳。過剰接待で贈賄容疑。帰国。(1回目の財産消失)
1916 19歳。再び中国へ。日本の治外法権を利用して、中国貨幣からインゴットを作る一厘銭事業を始める。軍に3万円(現在の5-6億)貸すが返金なく、非鉄価格も下落して倒産。帰国。(2回目の財産消失
1919 22歳。大阪で鉄ブローカーを始める。古鉄集めから圧延加工のための工場を作る。
1923 26歳。関東大震災で建築資材を買い集めて大儲け。
1927 30歳。大恐慌から取引銀行が倒産。資金繰りが行き詰り倒産。従業員は1人も失業させず、社長のみ引責辞任(3回目の財産消失 資本主義の終末期なのかを探るために猛勉強。
1930 33歳。資本主義は崩壊しないという確信を得る。経済変動は、経済の実態からくる自然現象である。
1931 34歳。株式投資を始める。
1933 36歳。経済研究所を始める。
1938 41歳。第二次世界大戦を予見。日本の鉄鋼生産能力を向上させようと朝鮮半島へ。
1945 48歳。敗戦により、韓国のすべての財産を没収される。(4回目の財産消失
1946 49歳。帰国。日本の適正人口4000万というマッカーサー元帥の占領政策布告分を読み、食料増産を目指す。米の二期作研究をはじめる。
1960 63歳。是川農業研究所を閉鎖、株式投資を再開(運用資産300万)
1966 69歳。大阪、泉北ニュータウン計画を予見し、不動産投資(運用資産3億)
1976 79歳。日本セメントへの投資(運用資産30億)
1978 81歳。同和鉱業への投資。一時は300億の含み益を抱えるも、手仕舞いルールを破り売り遅れる。株式投資を止める。
1981 84歳。菱刈金山ニュースを聞き、株式投資を再開。手仕舞いルールを守り、運用資産200億。
1992 95歳。死去。